2017年03月30日
野洲をはじめて歩いてきました。
結構色々なところを歩いているつもりですが野洲はまだ歩いていません。
歴史探訪案内メールを見ていると「山の辺の磨崖仏と古墳群を訪ねる」のタイトルに引かれ、鈍った体をほぐすのを兼ねて参加した。
3月18日(土)野洲市ボランティア観光ガイド協会主催で下記の行程を歩いてきました。
【行程】歩程:約8km・健脚向き
野洲駅南口(09:40)→中山道・朝鮮人街道分岐点→稲荷神社経由→妙光寺山磨崖仏→福林寺跡磨崖仏→桜生城跡→銅鐸博物館(昼食・見学12:20~13:20)→子安地蔵経由→桜生史跡公園→野洲駅南口(15:00頃)解散

野洲駅南口から2班に分かれ朝鮮人街道と中山道の分岐点から中山道を歩き稲荷神社をこえて妙光寺山を目指す。
恥ずかしながら草津宿なども朝鮮人街道と言うと思っていたが野洲の分岐点から朝鮮人街道が始まっていることをはじめて知った。


妙光寺山磨崖仏への登り道は、猪の通り道になっているらしく鉄の柵(開閉自由)が設け
られています。磨崖仏までは、約400メートルの山道を登ります。
この磨崖仏は、像の横に元亨四年甲子七月十日 大願主経貞という銘が彫られており、磨崖仏の在銘が残っているのは珍しいそうです。


妙光寺山を下り野洲中学校の裏の道をしばらく歩き小さな川を渡ると福林寺跡磨崖仏に到着です。
雑木林の中には、沢山の磨崖仏や石仏が佇んでいました。
写真左は、大きな石に観音菩薩一体と如来像二体が刻まれています。室町時代初期の作ということです。


桜生城跡を経由して銅鐸博物館へ行きました。
銅鐸博物館の裏側に銅鐸出土跡の石碑がありますが本当はもう少し下の農協のガス事業所あたりだそうです。
昼食の後、団体料金で銅鐸博物館を見学しました


桜生(さくらばさま)史跡公園内の甲山古墳(円墳)を見学、学芸員の方が説明してくださったので玄室の中まで入ることができました。
石棺は熊本県宇土半島の馬門石製で6世紀中ごろの朝廷に関係するような方の古墳ではないかと言われています。
湖西の古墳も何か所か見てきましたが、玄室・石棺ともに完全な形で残っているところは初めて見ました。
最後になりますがボランティアガイドの皆様、丁寧で親切なガイド有難うございました。勉強になりました。
歴史探訪案内メールを見ていると「山の辺の磨崖仏と古墳群を訪ねる」のタイトルに引かれ、鈍った体をほぐすのを兼ねて参加した。
3月18日(土)野洲市ボランティア観光ガイド協会主催で下記の行程を歩いてきました。
【行程】歩程:約8km・健脚向き
野洲駅南口(09:40)→中山道・朝鮮人街道分岐点→稲荷神社経由→妙光寺山磨崖仏→福林寺跡磨崖仏→桜生城跡→銅鐸博物館(昼食・見学12:20~13:20)→子安地蔵経由→桜生史跡公園→野洲駅南口(15:00頃)解散
野洲駅南口から2班に分かれ朝鮮人街道と中山道の分岐点から中山道を歩き稲荷神社をこえて妙光寺山を目指す。
恥ずかしながら草津宿なども朝鮮人街道と言うと思っていたが野洲の分岐点から朝鮮人街道が始まっていることをはじめて知った。
妙光寺山磨崖仏への登り道は、猪の通り道になっているらしく鉄の柵(開閉自由)が設け
られています。磨崖仏までは、約400メートルの山道を登ります。
この磨崖仏は、像の横に元亨四年甲子七月十日 大願主経貞という銘が彫られており、磨崖仏の在銘が残っているのは珍しいそうです。
妙光寺山を下り野洲中学校の裏の道をしばらく歩き小さな川を渡ると福林寺跡磨崖仏に到着です。
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写真左は、大きな石に観音菩薩一体と如来像二体が刻まれています。室町時代初期の作ということです。
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最後になりますがボランティアガイドの皆様、丁寧で親切なガイド有難うございました。勉強になりました。
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8月16日聖衆来迎寺の虫干し拝観
【歴史講座】1/21(土)~歴史の分岐点大津-古代・戦国・近代《全3回》に参加
千年の美つたえびと養成講座 最終回
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Posted by 爺爺の手習い at 20:31│Comments(2)
│歴史散歩
この記事へのコメント
福林寺跡は行ったのですが妙光寺山の摩崖仏は行っておりません。近くまで行ったのですが道が分かりませんでした。私も野洲についてはほとんど知らないです。いつになったら行けるやら。
Posted by 吉祥 at 2017年03月31日 16:20
吉祥さん こんにちは。
コメントありがとうございます。
野洲駅で降りたのは、出張で旧IBMの工場へ行ったとき以来です。
現地を歩くのは初めてでしたが、古墳(大岩山古墳群)が多くあり、古墳時代から飛鳥時代にかけて野洲川流域を支配した有力首長がいたようです。
コメントありがとうございます。
野洲駅で降りたのは、出張で旧IBMの工場へ行ったとき以来です。
現地を歩くのは初めてでしたが、古墳(大岩山古墳群)が多くあり、古墳時代から飛鳥時代にかけて野洲川流域を支配した有力首長がいたようです。
Posted by 爺爺の手習い
at 2017年04月01日 16:22
