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ただいま2~3ヶ月に1回程度の不定期更新です(^-^;

2016年11月16日

北国海道 堅田、小野、和邇

堅田は何回か歩いているが、小野は1回行っただけなので今回、おやじのたまり場主催の“湖族の郷堅田を訪ね 小野妹子ゆかりの小野を巡る”に参加してきた。

あいにくの曇り空で風の強い寒い日であったが、何回歩いても新しい発見があるので歴史散歩はやめられない。

コースは、 JR堅田駅→堅田内湖→祥瑞寺→光徳寺→本福寺→満月寺(浮御堂)→居初氏庭園→出島灯台→野上神社(匂当内侍の墓)→真野の入江→小野妹子神社(唐臼山古墳)→小野道風神社→小野神社・小野篁神社・小野小町供養塔→榎の石碑→JR和邇駅。
予定では9km程度となっていただ歩数計は2万4千歩を超えていた。


北国海道 堅田、小野、和邇

満月寺(浮御堂)は、門からはよく見えないので8月に名古屋の仲間と行った時は中へ入ったが、前の道の少し北寄りに湖に降りる細い道があり、全体を見渡すことが出来る。




北国海道 堅田、小野、和邇

堅田浦党首居初家庭園(天然図画亭)は、何回も前を通っているのだが事前予約制で庭は見たことがなかった。ここも路地から湖にでて裏へ回れば三上山は借景とはならないが庭は、見ることが出来る。



北国海道 堅田、小野、和邇
小野妹子神社(唐臼山古墳)展望台より三上山方面を望む

小野周辺には古墳が多くあり、琵琶湖ローズタウンは古墳に囲まれた中にある。
そして小野妹子神社(唐臼山古墳)はローズタウンの住宅地の中にある。




北国海道 堅田、小野、和邇
前回小野を尋ねた時、小野道風神社、小野篁神社に菊のご紋があり、気になって調べてみたが詳細は解らずじまい。

境内の案内板に系図があり、敏達天皇から始まっている。

どうもこれが原因らしい???

「尊卑分脉」、「諸家系図」どちらも春日皇子が妹子の父になっているが、これは無いと言われている。

また、小野神社の祭神は天足彦国押人命で第五代孝昭天皇の皇子だと言われているが、欠史八代天皇のひとりで実在するかは不明。

妹子のあとにも何代も優秀な人材を輩出した家系が素晴らしいので、もう気にしないことにする。






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Posted by 爺爺の手習い at 18:41│Comments(4)歴史散歩
この記事へのコメント
こんにちは。

堅田~和邇までですか。
健脚ウオーク?、そうでもないか。
小野神社の菊の御紋は何のためなんでしょうかね。同級生が小野に多くいるのですが、知っていそうな友達が思い浮かびません。

おやじのたまり場の会員さんですか。
以前2回ほど歴史ウオークに参加したことがあり、ブログネタにさしてもらいました。
Posted by 吉祥吉祥 at 2016年11月20日 08:38
吉祥さんこんにちは。
コメントありがとうございます。
菊のご紋は、つけても良い時代もあったみたいなので解決しました(^^ゞ
おやじのたまり場は、毎回連絡が来るので時々参加してます。
吉祥さん企画も又、お願いします。
Posted by 爺爺の手習い爺爺の手習い at 2016年11月21日 14:26
そもそも妹子は男であったか?妹の字が男から観た同腹の女性か妻、或いは恋人の名のだから…、明確な回答がでていないらしいよ。中学校時代に女の人かと勘違いしてましたけど・・・
敏達天皇の后は例の米原の息長広姫陵に眠ってましたよね。

それにしても、妹子は漢人系の諸人と付き合っていますね、まあ唐に派遣されるんだから知識は戴いていたんでしょうね。
先日行った飛鳥稲渕集落には南渕請安(みなみぶちのしょうあん)の墓がありました。かなりの知識人僧で、土地の人が神格化されてました。
高向玄理などは飛鳥時代の帰化系の学者ですから妹子もとんでもない知識人なのでしょうね。
何処かの本で小野妹子が居なかったら時代も変っていたというようなこと書いてありましたね。

寒くなります、お体ご自愛ください。
Posted by がり at 2016年11月23日 02:30
がりさん こんにちは。
いつもありがとう御座います。

当時は、蘇我や中臣なども子がついており、学に優れた男性への尊称として子を用いたようで男には間違いないでしょうが、妹子を春日皇子の子とするのはおかしいように思っています。

篁、道風神社がなぜ菊のご紋かの疑問から始まったのですがいろいろ調べると面白いですね。
系図は、置いといても篁にはまだ、興味が残っているので又、調べてみたいと思っています。

「大和の旅再び」は、情景を思い浮かべながら読ませて頂きました。
又、他の写真も見せてください。
Posted by 爺爺の手習い爺爺の手習い at 2016年11月23日 14:05
★★★ロシア語のスパムが多いので暫くは会員のみにしています。★★★
 
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