2015年06月16日
上関寺から旧逢坂山ずい道
先日の三橋節子美術館の帰り、裏の階段を上り近松寺(高観音)を拝観して帰路についた。
京阪の上栄町に出るつもりであったが道路が二つに分かれ「上関寺」の表示があった。
どこに出るかわからなかったので少し躊躇したが前から車が来たので行ってみた。
方向からして牛塔のある長安寺(関寺廃寺跡)へ出るのかと思っていたら、安養寺のある161号線の京阪の踏み切りに出た。
後で調べて解ったのだがこの場所に昭和46年まで京阪京津線の「上関寺駅」があったとのこと。「上関寺」の案内表示がやっとつながった。
前から行ってみたいと思っていたが中々機会がなく行けなかった旧逢坂山ずい道が近くにあるみたいなので寄ってみることにした。
旧逢坂山ずい道については色々詳しく説明があるので詳細は省略するが、明治13年大谷~大津間が開業した当時の東海道線は、京都から現奈良線を通り稲荷駅付近から大谷へ、日本の技術で初めて造った逢坂山トンネルをぬけ、現国道1号線を通り逢坂2丁目交差点あたりから馬場(現膳所駅)へ、スイッチバックで京阪線の路線で大津(現浜大津駅)まで行っていたとのことです。
逢坂山トンネルの前後は急勾配が連続する難所で7年後には、新逢坂山トンネルができ廃線となっている。
ネットでは、逢坂山には疎水も含め12本程度の多くのトンネルが掘られたと書いてありました。
この後、先日第一回関蝉丸神社芸能祭を開催した蝉丸神社を訪ねました。


長等創作展示館・三橋節子美術館の裏の階段を上るとすぐに近松寺がある。
前の道を上栄町方面に進むとすぐに上関寺への分岐がある。
10分弱で国道161号線の上関寺踏み切りに出る。
正面の赤レンガの壁は旧東海道線の1号線方向への橋台。


京都方面には、すぐに安養寺があり歩道をしばらく歩くと大谷加圧ポンプ場。
もう少し京都方面に進むと1号線との合流信号の歩道がなくなる手前右手に京大地震予知研究センターの建物が見える。

近代化産業遺産 逢坂山ずい道東口

トンネル内から見ると上関寺踏み切りにある赤レンガの橋台跡が見える。
京阪の上栄町に出るつもりであったが道路が二つに分かれ「上関寺」の表示があった。
どこに出るかわからなかったので少し躊躇したが前から車が来たので行ってみた。
方向からして牛塔のある長安寺(関寺廃寺跡)へ出るのかと思っていたら、安養寺のある161号線の京阪の踏み切りに出た。
後で調べて解ったのだがこの場所に昭和46年まで京阪京津線の「上関寺駅」があったとのこと。「上関寺」の案内表示がやっとつながった。
前から行ってみたいと思っていたが中々機会がなく行けなかった旧逢坂山ずい道が近くにあるみたいなので寄ってみることにした。
旧逢坂山ずい道については色々詳しく説明があるので詳細は省略するが、明治13年大谷~大津間が開業した当時の東海道線は、京都から現奈良線を通り稲荷駅付近から大谷へ、日本の技術で初めて造った逢坂山トンネルをぬけ、現国道1号線を通り逢坂2丁目交差点あたりから馬場(現膳所駅)へ、スイッチバックで京阪線の路線で大津(現浜大津駅)まで行っていたとのことです。
逢坂山トンネルの前後は急勾配が連続する難所で7年後には、新逢坂山トンネルができ廃線となっている。
ネットでは、逢坂山には疎水も含め12本程度の多くのトンネルが掘られたと書いてありました。
この後、先日第一回関蝉丸神社芸能祭を開催した蝉丸神社を訪ねました。


長等創作展示館・三橋節子美術館の裏の階段を上るとすぐに近松寺がある。
前の道を上栄町方面に進むとすぐに上関寺への分岐がある。
10分弱で国道161号線の上関寺踏み切りに出る。
正面の赤レンガの壁は旧東海道線の1号線方向への橋台。


京都方面には、すぐに安養寺があり歩道をしばらく歩くと大谷加圧ポンプ場。
もう少し京都方面に進むと1号線との合流信号の歩道がなくなる手前右手に京大地震予知研究センターの建物が見える。

近代化産業遺産 逢坂山ずい道東口

トンネル内から見ると上関寺踏み切りにある赤レンガの橋台跡が見える。
風呂混合栓 水漏れ修理をするがスッキリしない。
一つの木に赤白ピンクの花が咲いている
ペットボトルで作るマスクフレーム
笑門来福
スマホのアンテナが立たない、電波の入りが悪い原因
最近の食パンは、カビが生えないの?
大津市 新型コロナのワクチン接種予約をしてみて感じた疑問点など
殺菌灯(紫外線UVC)で新型コロナウイルス対策
一つの木に赤白ピンクの花が咲いている
ペットボトルで作るマスクフレーム
笑門来福
スマホのアンテナが立たない、電波の入りが悪い原因
最近の食パンは、カビが生えないの?
大津市 新型コロナのワクチン接種予約をしてみて感じた疑問点など
殺菌灯(紫外線UVC)で新型コロナウイルス対策
この記事へのコメント
今春大津歴博であった江若鉄道展から、明治期の当初の大津駅のこと知りました。開設当初は、現京阪電車の浜大津駅付近が大津駅であったこと知らなくて目からウロコでした。
明治の東海道、江若鉄道、大津軌道(現京阪電車)、鉄道連絡船(太湖汽船)と、今まで点ばかりで追っていたのですが、線でもって繋がるようになりました。鉄道の歴史、湖上交通の歴史調べたら面白いかも知れませんね。
明治の東海道、江若鉄道、大津軌道(現京阪電車)、鉄道連絡船(太湖汽船)と、今まで点ばかりで追っていたのですが、線でもって繋がるようになりました。鉄道の歴史、湖上交通の歴史調べたら面白いかも知れませんね。
Posted by 吉祥
at 2015年06月17日 08:20

吉祥さん こんばんは。
大津に初めて来てから40年ほど(20年は転勤)経ちますが、知らないことばかりです。
定年後、歴史に興味が出て、色々訪ねて、色々調べると面白くて益々興味が湧いてきます。(すぐに忘れますが・・・)
歴史散策 また、ご一緒させてください。
大津に初めて来てから40年ほど(20年は転勤)経ちますが、知らないことばかりです。
定年後、歴史に興味が出て、色々訪ねて、色々調べると面白くて益々興味が湧いてきます。(すぐに忘れますが・・・)
歴史散策 また、ご一緒させてください。
Posted by 爺爺の手習い
at 2015年06月17日 20:54

爺爺さんが辿られた道を一緒に歩いている気分になりました。
行き当たりばったりで道を撰ぶ歩き方は好きです(笑)
旧逢坂山トンネル‥独りで行くとちょっと怖いですね。
むかしむか〜し、トンネルの前で独りでスケッチしました。
その時、京大地震予知研究センターの方が気にかけて、描き終わるまで見守って下さっていたのを帰り際に知り、嬉しくて感謝した想い出があります。
行き当たりばったりで道を撰ぶ歩き方は好きです(笑)
旧逢坂山トンネル‥独りで行くとちょっと怖いですね。
むかしむか〜し、トンネルの前で独りでスケッチしました。
その時、京大地震予知研究センターの方が気にかけて、描き終わるまで見守って下さっていたのを帰り際に知り、嬉しくて感謝した想い出があります。
Posted by sho惑星 at 2015年06月20日 07:52
sho惑星さん
こんばんは。
何時もありがとうございます。
近くにも行っていないところがいっぱいです。
できるだけ知らない道を歩くようにしています。
新しい発見を期待して・・・
こんばんは。
何時もありがとうございます。
近くにも行っていないところがいっぱいです。
できるだけ知らない道を歩くようにしています。
新しい発見を期待して・・・
Posted by 爺爺の手習い
at 2015年06月20日 19:31

★★★ロシア語のスパムが多いので暫くは会員のみにしています。★★★