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ただいま2~3ヶ月に1回程度の不定期更新です(^-^;

2014年07月07日

名ガイドと小野一族の里を巡る。

少し前の梅雨の晴れ間に滋賀咲くブロガーの吉祥さん(週末の散歩道)の名ガイドで湖西の小野から和邇を巡って来ました。

コース
小野妹子神社(唐臼山古墳)→小野道風神社→石上古墳→小野神社→小野篁神社→上品寺→榎一里塚跡→正直者馬子の物語の地→和邇宿→北国海道常夜灯→江若鉄道和邇駅跡→明治期琵琶湖大水害の石積


詳細は吉祥さんがそのうち(・・?)記事にされると思いますので、私は、なぜか気を引かれる小野篁(たかむら)のことを少し。


小野篁神社は小野神社の境内社ですが、鳥居をくぐると正面の階段の上に小野篁神社が鎮座しています。
小野神社は左手奥にあり、専用の参道もあるのですが小野神社がまるで境内社のよう。
参道の左手には御神饌田があり、毎年11月2日に「しとぎ祭」が1200年執り行われています。
名ガイドと小野一族の里を巡る。




小野篁神社、小野道風神社ともに切妻造に向拝を設けた珍しい造で国の重要文化財になっています。
両社共に十六の菊の御紋(五三の桐と)が・・・ 
なぜ菊の御紋なのか気になって由来を色々調べてみたが結局わからなかった。
因みに小野神社の屋根の神紋は見えなかったが滋賀県神社誌では三つ目と五三の桐となっている。
名ガイドと小野一族の里を巡る。




ところで小野篁は文徳実録に身長六尺二寸(1m86cmくらい)と書き残されており、かなりの大男だったようだ。

平安時代前期の公卿で、小野妹子の子孫にあたり、学者・漢詩人・歌人としても知られています。
遣唐副使に任ぜられたが、大使と争い乗船を拒んだため一時隠岐へ流罪となった反骨の人。


ここからは逸話と伝説ですが、昼は宮廷に役人として使え夜はどうもアルバイトをしていたようです。
篁は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたということです。
この井戸は、京都東山の六道珍皇寺と京都嵯峨の福生寺(明治期に廃寺)もしくは蓮台野の千本閻魔堂にあったとされています。
これらの界隈には、この世とあの世の境ということで数々の言い伝えが残っているようです。

篁になぜこんな伝説が生まれたのか、なんか気になり魅力を感じます。
どうやら才能や反骨で世間に恐れられ 閻魔の冥官という伝説が生まれたようですが、一度六道珍皇寺の閻魔堂へ閻魔大王と篁の像を見に行きますか!


勝手気ままな皆さんを引き連れながらも細やかなお心づかいで、初めて会った者同士ということを忘れてしまいそうな楽しい時間を過ごさせて頂きました。





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Posted by 爺爺の手習い at 20:23│Comments(6)ブログ歴史散歩
この記事へのコメント
おはようございます。
当日はウオーキングお疲れさんでした。それとナイフありがとうございました。あの日家に帰ってリュックをおろして、しげしげと見つめておりました。器用な方で驚いています。

篁のこと詳しく報告いただきありがとうございます。私もブログ記事にと思い書き始めたのですが、現在和邇宿あたりで記事が休憩したままになっています。7月中にオープンできるか怪しくなってきました(泣き)。

守山に閻魔堂という地名があるのですが(中山道沿いです)、その近くだったと思うのですが篁自作の仏像があるとかの話を聞いています。
以前守山であったうおーたん主催の蓮如上人の講座で知ったのですが、参加者が多くてよく説明が聞けなかったので詳しいことは覚えていません。

菊の御紋よく観察されましたね。もう何十回と訪れているはずですが気がつきませんでした。社に菊の御紋があるのはめずらしいのですかね。

今後ともよろしくお願いします。
Posted by 吉祥吉祥 at 2014年07月08日 06:35
昔、閻魔堂へ行きました。ぼーっと見てて認識があまりなく、あらため見に行きたくなりました。

平安時代の平均身長はどのくらいやったのでしょう。
幕末なんかは低かったので、龍馬は大男だったようで‥
Posted by sho惑星 at 2014年07月08日 14:14
吉祥さん こんにちは

先日はありがとうございました。
吉祥さんのおかげであまり行く機会がないところへ行く事ができました。
また、篁に興味がわき、いろいろ調べてみて大変勉強になりました。
それにしても大した人物です。
吉祥さんも体格や博識ぶりといい小野一族の子孫かもしれませんね。
こちらこそ また、宜しくおねがいします。
Posted by 爺爺の手習い爺爺の手習い at 2014年07月08日 14:56
sho惑星さん こんばんは
いつもありがとうございます。
吉祥さんのガイド良かったですよ。
大きく若い吉祥さん、持っていたイメージと違いましたが、ガイドは思っていた通り博識で名ガイドした。。
身長は古墳時代から明治初期まで右肩下がりですが平安時代の平均は160cm位との事です。
閻魔さん、生きている間に一度あってみたいです。
Posted by 爺爺の手習い爺爺の手習い at 2014年07月08日 22:10
和爾氏の分家、小野氏からは妹子に始まり篁、道風から小町と傑出してますね。
私も惟喬親王を追っていたときに篁を知り驚きました。湖西のこの辺りは歴史を知るには避けられませんねぇ~・・・。
楽しいところへ行かれましたね!いよいよ歴史が楽しくなりますよ!

梅原猛著『京都発見・Ⅲ洛北の夢』を読まれることをお薦めします。

そしていよいよ葛川夏安居ですよ!
Posted by がり at 2014年07月09日 01:27
がりさん こんにちは
だいたいは坂本どまりで和邇は初めてだったので良かったです。
京都発見は8まで読み(目を通し)ました。
気になったことを調べているうちに面白いことを発見します。
すぐに忘れてしまいますが歴史は楽しいですね。
Posted by 爺爺の手習い爺爺の手習い at 2014年07月10日 11:15
★★★ロシア語のスパムが多いので暫くは会員のみにしています。★★★
 
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